中山道・柏原宿・醒ヶ井宿
08.6.25



画監督・吉村公三郎の実家

問屋役年寄 吉村逸平とあり、祖父は柏原宿最後の庄屋、

父は朝日新聞のコラムニストと書かれている。




造り酒屋・西川瀬右衛門とある。





旅籠屋・白木屋 藤兵衛とある。






煮売屋・七内






菓子屋・誠一郎とある。

何れの店も、殆どが戸を締め切り商売はしていないが、よく家は手入れされ町並み維持に

努力している様子が伝わってくる。 道中、工事中の木造建築を見かけたが、

施主が滋賀銀行となっていて、期待できる時期が到来したのであろう。 

今後、また賑わいを見せることを祈り柏原宿とも別れ、醒ヶ井宿へと向う。



醒ヶ井宿へと向う中山道

醒ヶ井までは約5km、やがて醒井宿に倒着。 車を醒井駅に止め散策を始める。




醒井宿

   醒井宿は中山道61番目の宿場で、この辺りは霊仙山を初めとする山間の街で、湧き水が多く
   
   水は生命の源、旅人は清流に憩いを求め、何時しか宿場街へと発展していった。 東見付け

   から西の見付まで8丁(約870m)程で柏原に比べると小さい宿場である。 1843年の記録では
   
   人口539人、本陣1軒、脇本陣1軒、旗籠11軒が並び、地蔵川の清流に沿い街道が伸び、
   
   「居醒の清水」を初めとする湧水と水中花の梅花藻(バイカモ)、それに大養鱒場で有名である。





醒井駅前の21号線を越えると中山道が合流していて右へ行くと養鱒場へとつづき、

左へ行くと居醒の清水のある地蔵川へと進む。 先ず、左への散策とする。

道路に外灯が上がっているのは柏原と同じであるが、街並の趣きはすっかり今風の感じ。

銀行の看板が上がり田舎街といった感じ、少し歩くとレトロな洋風の建物が左に見える。

昔の赤いポストが入口前に立っている。 ここは旧郵便局である。



旧郵便局・醒井宿資料館

大正時代に建てられた木造2階建の洋風建築で昭和48年まで使われていて

現在は醒井宿資料館として利用されている。


この建物は近江八幡市の近江兄弟社を起こした米国人建築家ウイリアム・ボーリーズ氏の

設計により建てられた。 彼は明治38年に来日し滋賀県立商業学校の教員のへて

キリスト教の教えに基ずき教育事業やメンソレ等の皮膚薬事業を行い、建築家としても多くの

歴史的建築を遺してきた。 彼の妻の一柳満喜子は教育界で活躍してきたと言う。




やがて、中山道醒井宿の橋があり地蔵川に出る。 こちらは全国水郷百選に選ばれ

「清流の里」と呼ばれるだけに、綺麗な水が流れ水量が豊富。

これから「居醒の清水」まで0.5kmの清流見物が始まる。






桜や猿滑、カエデなど年輪を経た樹木が地蔵川に沿って植えられていて、それが又

水辺に陰をつくり清らかさを増す。 やがて十王水に出る。




十王水

ここは湧水で平安中期に天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中

この水源を開いて仏縁を結ばれたと言われている。

本来、浄蔵水と呼ばれるはずが、近くに十王堂があったことから

「十王水」と呼ばれることになったと言う。




川には小さい橋が架けられ水際に建つ各家屋への出入りがされていて

夫々、石垣や植木、草花などに住人の個性が窺がえ水辺を楽しませてくれる。



清流の輝き

漸く梅花藻を発見。 緑の藻の水面に散りばめたように小さな白い花が見える。

地蔵川は水が美しく温度が年を通じて14度と一定で、この花に敵している。



梅花藻





梅花藻の花

今年は未だ早いのか花が小ぶりである。 梅花藻はキンポウゲ科の水生多年草で、冷たい清流を好み

78月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから梅花藻(バイカモ)と呼ばれた。

夏最盛期には水量も減ると小さな花(直径1.5cm)ほどが一斉に川面から顔を出す。




梅花藻と清流の涼しげなハーモニー





日本人は古くからこの様な竹垣など作り高温多湿の気候から巧く自然と折り合い、

涼しさ(気分的な設らえ)を採り入れて暑さを凌ぐ生活の知恵にしている。




梅花藻






旧問屋場

先に進むと、立派な大きな土間を持った軒の長い町屋風の建物が見える。 こちらは旧問屋場で

江戸時代、街道の宿駅として宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供、荷物の積替えの

引継ぎ事務を行なっていたところで、完全な形で残っているのは全国でも珍しいそうだ。 


業務の主宰者を問屋とよび、その助役の年寄、さらに人馬の出入りや賃銭などを記入する帳付、

人馬に荷物を振り分ける馬指などの者がいたと言う。 通常の時は交代で勤務するが

大名行列などの大通行があるときは全員が詰めたと言われる。

見ていると旅人が縁に腰掛け草鞋をぬぎ足を洗っている光景が浮ぶよう。



本陣跡

続いて本陣跡、現在も規模は小さいが旅館をしている様である。

前には大きな桜の古木が歴史をを物語っている。



桜の古木






苔むした地蔵堂

左奥に何体もの地蔵さんが紅い前掛けで飾られ鎮座し、旅人の安全を

見守って呉れている様である。




日本武尊像

古事記によると景行天皇の御代に、伊吹山に大蛇が住みつき、旅人を困らせてていた。

天皇は日本武尊にこの大蛇を退治するよう命ぜられ、尊は大蛇を退治し人々の心配をのぞいたが

大蛇の猛毒を受け醒井の地にたどり着いて、体や足をこちらの清水で冷やすと、不思議にも高熱の

苦しみも癒され、体調が回復したとの伝説があり、そこでこの水を名づけて「居醒の清水」と

呼ぶようになったと伝えられている。



日本武尊の腰掛石と鞍懸石

その時に日本武尊が座られた腰掛石左と鞍を懸けられた鞍懸石右と言う。・

この辺りは川幅が広がり、形の変わった岩が転がり、その先に加茂神社がある。



居醒の清水

神社の石垣の脇に「居醒の清水」が湧き出てここより地蔵川が発している。

昔は生活水や農具の洗い水に使用していたそうだが今ではあまり使わなくなったそうだ。



加茂神社





加茂神社拝殿

加茂神社に参拝し、醒井駅に戻り、鈴鹿山系の霊仙山の麓にある滋賀県醒井養鱒場へ

緩やかな坂地を走ると深山幽谷と言った雰囲気の山の中へと入って行くと、明るい広場

に出ると、其処が滋賀県水産試験場醒井養鱒場だった。


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